日本語よりプログラミングコードを書いていたい

最近ではそう感じるようになった。ここでいう日本語というのは、たとえばブログに書くような非プログラミングの文章のことだ。

プログラミングをした後に日本語を書き始めると、脳のコンテキストスイッチってやつが切り替わって、なんだか雑然とした感覚を覚えるというか、エネルギーが空費される部分があるような気がする。(コンテキストスイッチを切り替えること自体、脳のトレーニングになると聞いたこともあるが)

51対49

文章を書くこともプログラミングのコードを書くことも、とてもよく似ていると思うが、味わいは違う。

たとえばカフェで抹茶のティーラテを頼むか、ほうじ茶のラテを頼むかというような違い。その時に飲みたいドリンク、その時期の好みというものがある。

仮に抹茶のティーラテを飲みたい気持ちが51だとする。ほうじ茶のティーラテを飲みたい気持ちが49だとする。

これはほんのちょっとした差ではあるが、僕ら結局少しでも美味しい方、わずかでも美しい方を選ぼうとする。なので51のプログラミングを選びたい。そんな気持ちだ。

キーボードは夢を見るか

たとえば今日といえば、プログラミングすることが、とても良いリズムとして感じられる。キーボードを叩きながら、美しい朝を迎えることが出来る。プログラミングで。

できるだけ長い間、キーボードを叩いていたい。夢から覚めることなしに、恍惚に浸っていたい、いつまでも。