VIMはシステムが人間に近づくための手段だ

人間が当たり前のようにできること。近くにあるものを手に取るとかいうことを、システムの中でも出来るようにする。

つまり僕らが人間になるための手段なのだ。

pecoなども同じだと思う。

非エンジニアにとってはマウスの登場がそうだった。エンジニアの手足はvimだ。

寝ながらでもプログラミングは出来る

というより、寝ている時、うつらうつらしている時こそがプログラミングだとさえ言える。

着想は休息と睡眠の中にあり。

日曜日の18:30、いつものカフェ、ようやくプログラミングを美しく感じられた

いつもいつでもうまくゆくなんて保証はどこにもない。いつもいつでもプログラミングを最高に美しいと感じられるとは限らない。僕は近寄る努力をするけれど、感じられないこともある。たぶんうまく手を動かせていないからだ。

恋愛だって常に二人が向き合っているとは限らない。常に最高の状態が存在するとは限らない。だからこそ最高が戻ってきた時には手を叩いて、いや違う、やわらかな空気が壊れないように、ただただ穏やかに祝福したい。

必要なのはプログラミングへの情熱や、テーマというよりも、周りの環境かもしれない。周りの環境というよりもプログラミングへの興味やテーマかも知れない。僕には複雑すぎて分からない。いくつかのヒントなら持ち合わせている。すべてのピースが組み合わさった時、そこに美は現れる。

決してプログラミングコードには刻印されない美しさの背景。体験。いや、もしかしたらコードにさえそれが表れるかもしれないけれど。「きっとこのコードの作者は、最高にリラックスできるカフェでコーヒーの一杯でも飲みながらプログラミングをしたのだろうな」というような。

 

IMG_8418

 

ところでとあるライブラリに小さなPull Requestを送ることも出来たし、今日はやりきった感がある。打ち込んでいた仕事が一段落するというのは良いものだ。

エンジニアだけどデザイナーになりたい願望がある

たとえば「デザイナーだったけどエンジニアになった」という人がいるように、「エンジニアだったけどデザイナーになった」という人がいてもおかしくない。

デザイン関係の記事を読んだり、本を見たりすると、心の中の3%ぐらいが「いいなぁ」と動く感じがする。ただ、それはずっと3%ぐらいの衝動なので、いつまで経っても本格的に手を付けるどころか、何らかの絵筆をとることすらままないのだ。

ちなみに他の事柄に対しては0.1%も心が動かなかったりするので、3%というのはすごいことなのだ。

ということでエンジニア以外にひとつ好きな仕事を選べるとしたら、きっとデザイナーの道を選ぶことだろう。

そういえば昔はたまに紙に絵を描いたり、4コマ漫画を描いたりしていたものだ。子供の頃は、美術の授業が好きで、わりと褒められていた気がする。理科の授業で植物のデッサンを描いたりするのも好きだった。

だからなんだというわけじゃないが、三つ子の魂百までというか、デザイン的なものに惹かれる「種」は、昔から備わっていたのかもしれない。